『ねえ椿』
「なんだ」
電話越しのの声はとても遠く聞き取りずらかったのでボクは少し大きめの声で叫ぶ。がうるさいよと笑う。その笑い声さえ遠くてボクはいらいらする。
『私ね、もうすぐ、椿の所に帰るよ』
「ああ」
が他の誰でもないボクの所に帰るというのが嬉しくてボクの声は少しだけ大きくなる。がまた、少し小さな声で話してよ、と微笑む。
ここにはの知り合いがたくさんいる。友達や先輩や後輩や先生や、いろんな人たちだ。それでもその中の一人であるボクのところに帰るという。これが優越感でなくてなんと言うだろう?
『ねえ椿、あのね、私、結構最近まで今いる街に住んでいたのよ』
「ああ」
は転校してきてまだ半年ぐらいだ。でもその半年の間にボクと彼女は出会いこうして付き合うようになっている。付き合い出してからは二日と会わなかった日はなかった。だからボクは今こうしてと離れているということがさみしくてさみしくてならない。でも、そんなことは一言も言わない。
『でもね、私、大分ここの街の地理とか、地名とか、昔のクラスメイトとか、忘れているのよ』
「ふうん?」
が何を言いたいのかよく分からないが、その声からはなんだかひどく嬉しそうで悲しそうだった。複雑でボクにはそれがどういう気持ちかよくわからない。
『でもね、』
でもね、とか、ねえ、とか、はよく言う。がその後一息だけ息を吸い込むのが好きだ。の言葉も大切だが、ボクはその休息の時にもの存在を感じる。
『昔の事を忘れる分、きっと、椿と一緒にいる事を覚えているのね』
私ばかだから、ちょっとしか頭に覚えてられないの。
だから何かを覚えると、何かを忘れてしまうのね。
でも、私、覚えてるのが椿のことで嬉しい。
全部椿のことしか覚えられなくなっても、私は、幸せよ。
はそう言って笑った。
ボクはそんなばかなと一瞬叫びそうになって、でもなんだか胸がつんとした。
初めから気付いていたけれどは危うく透通り過ぎていてだからボクはが好きなのだ。
まっすぐに心の奥底を言えるは羨ましく少しだけ怖い。
『椿、好きよ』
ボクは頷くが、それは電話では伝わらないと気付き、ああ、と返事をする。
はボクが何も言わなくても分かっているわ、と笑った。
ああボクはの笑い声が好きだ。の透明なところが好きだ。の危ういところが好きだ。
「早く帰っておいで」
ボクはようやくそれだけ言って、ありがとう、というの声を聞いた。
もうすぐここにものところにも雪が降る。
そうしたらボクは今よりもう少しだけ素直になれるだろうか。





まだきれいなきみは



(ボクは君にはなれないかもしれない)
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お題は「repla」さまから。
壊れそうな女の子に男の子は惹かれるのでしょうか。守ってあげなきゃとか思うのでしょうか。
でもその実女の子の方が強かったとかそういうこともあるよね。そういう話?なの?かな。
久しぶりに実家帰ったら実家の場所忘れかけてて、びびった。
2009/1/31




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